水素サロン日誌

50にして天命を知る~自分が生まれてきた意味は?

十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順したがう。
七十にして心の欲するところに従えども、矩のりをこえず。

論語のように生きてきた自信は全くありません。
親に押し付けられた勉強は大嫌いだったし、
真の意味で自立(而立)しているのかも疑問だし、
惑っているのか惑っていないのかもわからないし・・・

でも53歳の今、これが天命のか、そう思えるときもあります。

 

Contents

自分がなぜ水素吸入サロンなど始めてしまったのか?

私の意志ではなく間違いなく運命に導かれたものです。
妹が2007年にガンで他界し、
2010年にお客様のSさんが末期ガンから水素吸入で奇跡的に復活した姿を目の当たりにしました。

自分では選べない家族という宿命
自分の選んで来た道中に出会ったSさん。

2つの出来事が折り重なって、
私は水素サロンをやることが運命にしか思えませんでした。

2つの現実が目の前で起きて、
水素サロンをやらないという選択はありませんでした。

2013年、まだ水素水ブームすら来る気配もないときに。

 

日本中、世界中でガンを宣告され途方に暮れている人に水素を届けたい。

妹は助けられなかったけど、
同じように絶望の淵に立っている人に希望を届けたい。

少しずつ私の声が届くようになり、
ガンの方にも大勢来て頂くようになりました。

信じられないような奇跡的な回復を見せてくれた方も大勢いらっしゃいます。

一方で悲しいお別れをした方々もいらっしゃいます。
ご来店頂いた頃にはガン患者とは思えないような精悍な男性でした。
当時40歳、Hさん。
クルマを1時間以上も運転して毎日のように通ってくれました。
自宅近所にも水素吸入出来る場所があるのに・・・

「僕(Hさん)と丸山さんは信頼関係が出来ているから」

涙が出るほど嬉しい言葉でした。

残念ながらガンは進行していき、
2年前の7月に他界されたことをお父様の電話で知りました。

短い時間でしたがHさんから
「信頼している」
と言われたことは一生忘れないでしょう。

Hさんはご自分の運命で旅立たれました。
私と水素の力は及びませんでしたが、
間違いなくHさんに希望を届けることは出来たと思っています。

宿命運命が折り重なって見えてくる道を使命というそうです。

私の使命は疑いもなく世界中に水素を届けること。
絶望の淵にいる人に希望を届けること。

使命に沿って生きていれば、
運命を超えた天命が見えてくる。

私は少し天命が見えてきた氣がします。

 

今日はHさんの誕生日です。
生きていれば42歳。
若過ぎる死がHさんの運命だったのかもしれません。
短期間しか同じ時間を過ごしていない私にすら、
Hさんは感動を与えてくれました。

Hさんはきっと多くの人に歓びの種を蒔いてあの世に行ったのでしょう。

私も自分の道(天命)を生きよう。

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表紙は fujiwaraさんによる写真ACからの写真

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