水素サロン日誌

10年前、いつか水素の時代が来ると信じた水素バカはそのとき何を想ったのか?

私は10年前に水素吸入に出会いました。
あまりに衝撃的な出会いでした。

これから水素の時代が来ると確信し、8年前に水素サロンを始めました。

水素サロンを始めたのは衝撃的な出来事に導かれたからで、
決して私に先見の明があったわけではありません。

神様に導かれるように始めたので、
この先のしばらくの時間を水素に捧げることに、
なんの迷いもありませんでした。

しかし当時、2011年になっていたでしょうか?
その頃に
『水素サロンを始めようと思う』
と人に相談してもバカにされるか無視されるか目に見えているので、
ほとんど相談することもありませんでした。

相談しなかったので、
私の夢、願い、目的などを言葉にすることはほとんどありませんでした。

今になって自分は水素に何を想ったのだろう?
どんな夢を持ったのだろう?
どんな世界を見据えたのだろう?

2010年から2013年くらいに思ったことを言葉にしてみよう。
ここ最近のブログは自分のための忘備録です。

こんな個人的な話にお付き合い頂きありがとうございます。

 

Contents

元氣で生きてくれ!

もし当時の氣持ちを一言だけで表すとしたらこれです。

『元氣で生き抜いてくれ!』

若いうちに死なないでくれ!
とにかく生きてくれ!
出来たら元氣で生きてくれ!

しつこいかもしれませんが、
私は当時33歳の妹をガンで亡くしました。

人生で最大の衝撃でした。
当時私は40歳。

この歳でこんなに泣くものなのか?
何度も子供のときのように号泣しました。
嗚咽でした。

元氣に生きること。
少々嫌なことがあっても、
元氣で生きていることって幸せなんです。

妹の死後3年後に妹と同じような末期ガンの方が、
奇跡的な回復をする様子を目の当たりにしてしまったのです。
抗がん剤は断固拒否しました。
その方は食事を改めたり岩盤浴で体温を上げたり、
水素吸入も毎日しました。

 

生老病死

私は哲学も宗教学も全くわかりませんが、
生老病死、みな同じだそうです。

確かに宇宙や時空をから見たら、生きるも死ぬも幻なのかもしれません。

でも今目の前にいる身近な人が病気で死んだら・・・

その悲しみや記憶ももしかしたら幻かもしれないけど、
でもそれらは確かに頭と心に刻まれて消えることもないのです。

まだ生きてるのか、あのジジィ。
世界中の人がそんな軽口を叩かれるまで生きて欲しい。

 

水素には希望のにおいがする

和田アキ子さんの名曲
『あの鐘を鳴らすのはあなた』
から「あなた」を「水素」に変えて(笑)

水素だけで病気のない世界なんて作れません。

でも私が約10年前に見た奇跡は、
諦めかけた命に希望をもたらせてくれるものでした。

 

水素サロンを始めることが夢

約10年前に奇跡を目の当たりしてからというもの、
私は早く水素サロンを始めたくて仕方ありませんでした。

水素の時代が来ることは確信していましたが・・・
問題は・・・
いつ水素の時代が来るのか?
10年後なのか?
5年後?
3年後?
1年後?
いや、20年くらい先かも?

水素吸入器は500万円。
そんな大金をどうやって調達すればいいのか・・・?

そんな悩みよりももっと大きな想いがありました。
『こうして悩んでいる間にも、多くの人がまた病気になる』

早くオープンしなければ!
いち早く多くの人に希望を届けたい!

それが2010年~2011年くらいに持った私の夢でした。

 

水素を世界中に届ける、
そんな夢の先にはどんな世界になる願望を持っていたのだろう?

 

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